FS (エフエス) 株式会社 代表取締役   澤村房枝のプロフィール

澤村房枝のプロフィール

薬剤師とAFP(ファイナンシャルプランナー)の両方の国家資格を有し、外資系製薬企業で25年以上の実績をもつ。若い頃に友人に誘われ投資を開始、投資の学校での学びを通して資産運用のノウハウを得る。医療業界では大学教授や厚生労働省の役人、日本の数々の製薬企業と薬剤開発やライセンス関連で審査・協議に携わり、医療経済等を産官学連携で協力し合いながら、様々な医療関係者と良好な関係を築き今日に至る。その豊富な経験を元に” MSL; 医師と企業をつなぐ新ビジネスプロフェッショナル: 外資系製薬メーカーとキャリアパス” のタイトルで kindle版の本を出版、アマゾン売上ランキングのビジネス交渉、コミュニケーション部門等で一位を獲得する等、実体験に裏付けられた内容で人気講師として、また個人向けに資産運用と心身の健康に向け、“真の笑顔の追求”をビジョンに掲げ、人々の豊かな生活の実現に向けて真摯に取り組んでいる。

 

<健康と資産運用の家庭教師>

各個人で異なる健康・資産ニーズをその両面から診断し改善へと導く 

“健康と資産運用の家庭教師” として必要な知識をわかりやすく解説

<企業セミナー・研修講師>

外資系製薬メーカー/CROで基礎研究、臨床試験、 新薬申請・承認、

市販後の育薬迄、一連の業務経験を有する唯一無二の存在で納得感を齎す

”企業セミナー・研修講師”  特にMSL研修講師として人気を集めている

FS株式会社を立ちあげたきっかけ

FS(エフエス)株式会社は2017年7月創立、“FS株式会社を立ち上げたきっかけは何ですか?”、とよく聞かれます。これにはいろいろな理由が積み重なっています。FS株式会社はそもそも外資系製薬企業であるベーリンガー・インゲルハイムに勤務していた時に副業として立ち上げた会社で、最終的に背中を押してくれたのは会社が社員に起業家精神を浸透させ、副業を認める体制になったからです。社員一人一人が起業家精神で経営目線をもつことにより、会社が求めていることを社員が理解し各自の業務を遂行できるようになれば、全社員一丸となって物事が円滑かつ迅速に進められる、というのが背景にあったと思います。とはいえ、そういった時になぜすぐ会社を立ち上げることができたのか。その理由は、また数年前に遡ります。

節税について考える

ある日のこと、ふるさと納税を取り扱う業者から電話があり、納税額について話をしているうちに節税について考えるようになりました。その後、銀行の方と話をする機会がありその中で起業の話題に。

“上場は考えられますか?”という質問をされたことを記憶しています。それはまったく思いがけない言葉だったので、とっさに “全く考えてないですが。。。。“、と応え、なぜかそのことが深く脳裏に刻まれています。

起業、上場等、他人事のように思っていた自分、選択肢としてまったくなかった点から、固定概念の中だけで考えていたな、とあらためて考えさせられる質問だったため、その言葉が頭から長い間、離れずにいたのでした。

それからまた月日がたち、今度はある業者から節税について説明させて頂きます、といった内容の電話があり、私はそれを会社が設定した研修の一つと勘違いしてその業者と話をすることになったのです。

会社は全く絡んでなかったのですが、その当時、会社は社員に対してiDeCoの説明について保険会社を呼んで説明を受けさせたりしてくれていたので、私はまた会社の研修と思い込み、その人との会議を設定し、話をすることに。このような数々の意図しない人との会話を通じて、徐々に起業という文字が心の中でどんどん大きくなっていいったような気がしています。

起業について自然学習した時代

更に話は遡り、これも外資系製薬企業のひとつ、イーライ・リリーに勤務していた時に、退職して起業する人・定年退職する前に起業準備をする人たちをみていました。

そういった方々と何気ない会話をする中で学んだことは、本業があると起業してクレジットカードが簡単に作れるが、退職して作ろうとしても、バックとしての会社を失った人はクレジットカードさえも作れない、といった話や、大手銀行で法人の通帳を作ろうとしても、これまた退職すると法人の銀行口座も開けない、など、退職して法人を作るには、同じ一人の人間であるにも関わらず、信用を得ることが如何に難しいか、ということを目に、耳にしていたのです。

これら自然と見聞きした環境を通じて、会社に所属しているということは社会の信用があり、起業するにも本業を持っている時にいろいろ活動をして準備しておかないと大変なんだ、と思ったことを覚えています。

このような一連の経験があったことから、なんとなく心の準備が整っており、ある機会が目の前に現れた時に、躊躇なく起業するという舵をとることができたのだと思います。

会社立ち上げの事業とは

外資系製薬企業でキャリアをのばしていく中、会社を立ち上げても副業に時間をさくわけにはいかず、更に副業は許可されても製薬企業で働いている限り本業に影響を与えるヘルス事業は利益相反につながる可能性があるためもちろん禁止、となると、出来ることはそれ以外の仕事に。さて、いったい何ができるのか!。

経営目線を養う、ということを念頭に、かつ立ち上げるなら本業を持っている間に立ち上げるべき、という流れの背景で立ち上げた会社なので、商売をする、というより起業に関連する過程そのもののを経験して将来に備えておこう、という方が大きかったため、起業の体験学習という感じで時日が流れました。

会社の商標をネットで募り、デザイナーからいろいろ応募いただいたデザインを選択、商標登録を行ったり、そのロゴをいれた名刺づくりや、銀行法人口座を開いたり、クレジットカードを作ったり、法人証券口座をひらいたりと、会社としての土台、形づくりを行っていきました。

様々な手続きの中で、しばしば会社の業種について記載する必要があり、本業が絡むヘルス関連に触れることはできなかったので、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格を元にしたコンサルやEC販売を記載していました。記載したとはいえ、本業で時間がない中、副業で積極的に顧客を獲得しよう、なんてことは、自分の首を絞めるだけなので、流れに身をゆだねる形で時日はあっという間に過ぎるのでした。

その間、手軽にEC販売なら、とAmazonでセラーを開くことに。もともと叔母が書道教室を開いており、その叔母に4~5歳のころに筆をもたせてもらったのをきっかけに書道の腕があがり、小学一年生で山口県知事賞、2年生で西日本新聞社賞で新聞にも掲載される等、毎年書道では表彰されるように。

中学、高校時代も、それぞれ山口県知事賞を受賞するなど書には自信があったことから、叔母の教えを胸にその特技を生かし日本の書を外国人のプレゼント用に作成したり、Gコードを取得して商品化したり。

そんな中、社員も一人抱えることになり、より稼げるようにと200万円以上かけて販売用のシステムを取り入れたりしましたが、商売はそんなたやすいものではないことに気づかされるわけで、本業で稼いだお金は、副業投資でどんどん消えていく日々。。。。

結局、本業にまじめに取り組む中、時間をかけずに本業以外の副業で利益を得るのは難しいことを実感。副業収入の柱はというと、事業に掲げていない投資からの利益。立ち上げた会社の事業については、片手間アクションを通じて自己投資と自分の中で位置づけながらも自問自答の年月があっという間に過ぎていく感じでした。

投資経験で得たもの

個人で投資を始めたのは30歳頃で、きっかけはイーライ・リリー勤務の時にある秘書さんがお父さんを亡くされ、その際に株や債券等を引き継ぐことになり、”一緒に勉強しよう”と誘われたことに始まります。楽天の株主総会に一緒に出席したりしました。十分な知識もなく、投資を続けていると失敗はつきものでリーマンショックを経験し、JALの株も所有していたので、すべてが紙切れに。その他の株券もほぼ全てが塩漬け状態。

しかし、塩漬けでも銀行の普通預金・定期預金に預けていたよりも株主優待や配当利回りで、結局は株投資がプラスになるということも体験を通じて学びました。

また投資信託や金先物、不動産投資にFxとありとあらゆる投資・投機を営業マンの言葉を信じて、あまり深く考えずに専門家がいうことだからと、お金を預け、結果的に大幅に資金が減るという経験も。ある意味良い勉強になりました。無論、深く考えていない分、生活費を投資に回したわけではないので、この苦い失敗から、何でも人任せにすることなく、しっかりと勉強して理解し、その知識を持って実践してはじめて真の学び・実績が得られるということを言葉でわかっていても実体験で学ぶのでした。

 

ファイナンシャルプランナーの資格を得るのもこれら失敗が原因で勉強するきっかけとなり、勉強して実践して試す、知識に基づいて実践すれば結果が得られる、知識に裏打ちされた実践ではじめてそれが自信となり、真の財産となり、人にもそれを伝授でき、それは人から信頼を受ける結果につながると。

何でもチャレンジして体験することの価値と失敗しても復活できる自己管理を常に軸としてもっておけば、不屈の精神をもってのチャレンジは必ず成功につながるということは一連の投資経験からも実証された感じがしています。

外資系製薬会社・CROでの経験

外資系製薬企業では主に、ファイザー社で基礎研究、イーライリリー社で臨床開発、アボット・アッヴィー社で市販後臨床、ベーリンガーインゲルハイムでバイオシミラー部門統括、メドぺイス社で日本でのビジネスの立ちあげから臨床試験の実施・承認に至るまでクリニカルオペレーションの責任者としての任務を果たし、その後MSLを立て直すという任務でギリアド社に席を置くまで、外資系企業で一連の任務を実践してきました。

特に薬の開発で基礎研究から市販後まで各職を体験できたこと、また多くの医師や外資系企業のカルチャー、製薬企業とCROとの違いを体験する機会が得られたことは貴重な財産となりました。

外資系なので日本の勤務時間が終わると海外の勤務時間がはじまり、特に昔は夜働くのは当たり前の風潮があり、昔ピンクレディーが寝る暇もなく、といったのをテレビ番組できいていましたが、そんな感じでした。時代が時代というか、しかし実際、海外の人でさえ、上役になっている人は夜昼関係なく、いつでもコミュニケーションがとれていたので、やはりキャリアを積んで伸ばしていくには夜寝る暇もなく働くのだなと。

結局、そういった成功者と呼ばれる人たちの姿をみて、それが私の模範となっていました。実際、若いころに上層部にメールして夜昼なくすぐに返事が返ってくるのはありがたく、尊敬できる存在に。またそういった人が上にいたので、やればやるだけ結果もついてきてそれが認められる社会なんだなと。

一方、外資系とはいえ、日本にある企業なので昔は日本文化はまだまだ残っており、女子社員は研究途中でも手を止めて午前10時と午後3時にはお茶くみしなければならないという習慣があって、驚いたのを覚えています。

それ以外にもいろいろなことがありましたが、そこは機転をきかせた行動力ですべて円満に撤廃させました!。もともと外資系なので日本で働いていた男性社員もなんとなく平等であるべき、といった潜在的意識をもたれていたからだとは思います。

外資系の良さを実感したのは、やはり成果を評価してくれることでした。成果をだすには努力が必要ですが、確固たる成果をだせば若者であろうが女性であろうが人種が違えど、認めてくれるというのはやはり外資系ならではの良さだと実感し、つらいこともしばしばありましたが、努力・成果が認められるのはモチベーションとなり、様々な困難を乗り越えることができたました。

それぞれの職種でいろいろな経験を積んで今に至りますが、特にMSLという職種での経験は私を大きくしてくれました。

一か月先に800人以上の日本の名だたる医師を集めて会を実施するという大規模な企画があり、突然、医学本部長から指名が入り、期限までにある任務を果たさなければならないという重圧のかかる役が与えられたんです。

対象が専門家の医師を集めたものですので、その方々に満足してもらえるように勉強しなければなりませんし、いろいろな作業を考えても間に合わすには24時間体制で働かないと難しい局面でした。とはいえ期待されてのこと、寝る間も惜しんで何とか間に合わせることができました。

その直後、マイコプラズマ肺炎でダウン。社長までもが心配してくれて。。。800人以上の医師を集めて実施された会は成功をおさめ、その努力は報われて、いろいろな受賞を頂きました。

このような一連の経験は宝物であり、これらの経験を共有することで更にそれが生かされれば、もっと社会に貢献できると思い、本の出版を考えました。実際に経験したからこそ言えること、MSLや外資系製薬企業について少しでも知って頂けたらと、MSLでの経験を中心に外資系製薬企業とスキルについて、“MSL”というタイトルのKindle本を出版したので、ご興味のある方は一度、通読頂ければ幸いです。

このような一連の経験をもとに、今では外資系製薬・CRO企業での職種・キャリアについて、またMSLに求められるスキルについてなど、セミナー・講演を実施する機会を得ています。体験しているからこそ、聴衆者に納得感をもって聞いていただけ、皆様の現場で生かされればと企業研修を行いながら、日々生きた会話を通してこちらも勉強させてもらっています。

皆が健康で私も楽しい

さて、話は幼少時に遡ります。4歳の頃に敗血症という病気にかかり死を目前にしたことがありました。寝ていてもつらく、それまでおんぶして、と言っても、おんぶしてくれなかった親が、おんぶしてあげようか、というので、“うん“と言っておんぶしてもらいました。が、おんぶされて数秒もたたないうちに親の背中にしがみついていることがものすごくしんどく、すぐに”もういい”といったことを記憶しています。

せっかく親がおんぶしてあげよう、といってくれているこの機会をのがしたら、という思いでそれを選択し、結果として学んだことは、健康な時はおんぶされているのが楽で楽しいと感じるが、病に侵されている時は、寝ているのが一番楽だ、ということでした。

一つ上の兄を同じ病気で亡くしているので、親が早く医師に精密検査を依頼してくれたおかげで、即入院し、生きて今に至ります。このような経験から健康を維持するには日ごろからの観察と早い処置が鍵であるとの認識を子供の頃(4歳)からもつこととなりました。

健康でなければ親におわれても楽しくなく、健康であればいろいろ活動できる、活動の中の苦しみは病気の苦しみよりも遥かに楽だ、ということも4歳の時に心に刻まれたのでした。

更に友達と遊ぶ中で、周りの皆が楽しくないと楽しくない、周りの皆が楽しいと自分も楽しい、健康で皆が楽しく活動ができることが生きていてもっとも楽しいことである、ということが幼少期の死の淵の経験を通じて心深くに刻まれています。

死から私を救ったのは親であり、医師であり、その医師が処方した薬。製薬企業で薬の研究・開発に携わる礎は、幼少期に刻まれた経験以外のなにものでもないのでしょう。

FS株式会社のビジョン

この地球上に生まれ今に至るまで、一連の経験を通じて培われた志はただ一つ、健康が第一であるということ。体の健康を確保するには、病気になったときに必要な薬を服用できること。

また昔から衣食住といわれるように安心して生活ができるにはその基礎となる最低限のお金があり、更に病気になった際の治療費が賄える資金があってはじめて精神的健康も得られるもの。

そういった環境下ではじめて人々はやりたいことに没頭でき、喜びや感動を得ることができる。この人々の“真の笑顔の追求”をFS株式会社のビジョンに掲げ、日夜励んでいます。

健康・資産運用の家庭教師

健康・資産運用の家庭教師として、健康とお金の二つを取り上げたのは、“健康とお金”の管理は生活の資本であり、誰もが重要とわかっていても、情報量が多すぎてすべて学ぶのは難しいと感じている人が多い事。そのため、何をどうしてよいかわかりにくく、人に頼ってしまい、結果は。。。。。

何をどうしてよいかの道筋をたてることができればこの問題は解決します。各個人でコントロールすべき健康とお金は各個人で違うので、全般的に知識をみにつけて自分が必要とする情報にたどり着くのは大変です。逆にいえば、個々が必要とする情報は限られるのでそれがわかれば、そこにフォーカスして勉強できるので、自分自身でコントロールできるようになれるんです。すなわち自分が必要とする知識を同定し、学べば、自分自身でコントロールできるようになるので、不安も解消されます。

この講座では、それぞれの人が今!身に着けるべき知識が何かを同定し、それを”今“学んで実践までサポートします。すなわち学んだ知識を実践にすぐに生かしていけるので、その体感を通して実力をみにつけられます。

健康とお金が自身でコントロールきるようになるので、不安が解消され、自分の好きなとことに没頭できるようになる。薬剤師国家資格とAFPの資格に製薬企業での経験や投資の経験を積んで、生きた言葉、知識を皆様の笑顔に貢献できればとの強い思いをもって、私自身も日々新たな情報を得ながら、実践しています。

企業講演・研修講師

優秀な社員を雇用していても社員の才能と顧客が必要とするスキルがミスマッチしていると、期待される会社の業績アップにつながらず、どういったスキルが実践に求められているのかがわかれば、業績アップにつながります。

また社員も自分の才能がどの職種にあっているのか、どういったスキルを身に着ければ会社に貢献できるのかを知ることは、最短で目標を達成するのにとても役にたちます。一般的な企業コンサルタントは実務体験のない人が実施していることが多いため、研修をうける側にとっては現場も知らずに机上の空論ばかりと聞く耳半分で内職をしているケースが多いように思います。

事実、私がその一人でした。本研修は内外顧客から指名を受けた実績と、また未経験者を一流のMSLに育てた経験、外資系での職種を一通り体験しているからこそ、わかりやすく腹落ちする内容をお届けできるものと思っています。

経験に基づく話なので誰もが耳を傾けやすく、未経験者にとってはそれぞれが身に着けるべきスキルがわかり、経営者にとっては既存のタレントをどう生かすことができるかがわかるので、会社の業績アップにつながります。

一般的な専門知識は現代ではAI/ChatGPTなどを使いこなせば、手に入りますが、各個人が経験を通して学んだ知識は対話からしか学べません。如何に対話力もって相手のニーズや経験を知り、社会に生かしていくか、これこそが本当に必要なスキルといえるでしょう。

本企業研修を通して、外資系製薬企業やCROでのそれぞれの職種とスキルについて学ぶことができ、またChatGPTの使い方なども含めて各専門分野の人々とどのように対話をすればよいか、腹落ちして楽しく身に着けられるように設定しています。

書道教室

筆をもち書道を始めたのは4歳の時。これも敗血症で死をさまよった4歳なんですね。叔母が書道の先生をしていて、訳も分からず筆をもって”一”という字ばかり何時間も正座して書いて。他の生徒さんたちに混ざって、子供から大人までいろいろな方がいらした横で、私ひとり”一”ばかり繰り返し書かされる、って感じでた。

正座して書くので、足はしびれるのですが、叔母は指導の時は怖い先生、って印象でしたから、足がしびれるという感覚よりも怒られないように”一”を教えられたようにひたすら書いてる感じ。

でもそれが基礎になり、”一”の字ひとつとってみても差が感じられるようになったんです。何がよくて何が悪いか、バランス、太さ、勢い、等など。死をさまよった私にとってその時の体のだるさやつらさを考えると、それ以上につらいものはなく、怖い叔母に褒められた時の快感の方がモチベーションなりました。

他の大人や叔母が休憩とったら、と言ってくれるのですが、自分が納得のいく字がかけないと休憩をとりたくない性格でしたので、ひたすら書いてました。集中していて、あっという間に一日が過ぎてました。

それが功を奏して、数々の受賞を得ることができ、叔母自身も、教えてきた中で私がもっとも上手だ、といってくれるようになりました。高校の時には授業時間でさらっと書いた字が山口県知事賞になるなど、その頃には特に練習することなく、納得のいく字がすぐに書けていた感じでした。やはり基礎をしっかり身に着けることが重要だなとつくづく思います。

どうやったら美しい字になるか、どのように筆を使うか、筆の勢いや筆法や留めの技術、これらについて基礎を学べる書道教室を書道作品とともに提供出来ればと始めました。叔母も書道教室をはじめたきっかけは近所の人たちが叔母に字を教えてほしいと懇願されたのがきっかけだったそうです。

書道は精神統一になりますし、従弟も書について大学で学ぶなど、芸術としての書道のみならず学問の書道も実践して書道院が運営されています。
落ち着いた静かな環境下、美しい文字を筆で描いてみたい方、書道教室を開いていますので興味あるかたは是非受講してみて下さい。